三宅島の風景/噴火の跡

島のいたるところで噴火の跡を見ることができるのは三宅島ならでは。
スコリアで真っ黒(赤茶色?)な地面が広がる風景は「まるで火星にいるようだ」、とも言われています。

火山島である三宅島は、中心にそびえる雄山を中心に数多くの噴火を経験してきました。
直近の500年では13回。
(1469年、1535年、1595年、1643年、1712年、1763年、1811年、1835年、1874年、1940年、1962年、1983年、2000年)約20年~70年の間隔での被災。現在もAランクの活火山に指定されています。

1983年の噴火では、阿古地区というところにあった温泉郷が一夜にして焼失し、
2000年の噴火では4年半にも及ぶ全島避難を経験。
過酷な歴史を繰り返してきた島ですが、
現在は約2,500人が暮らし、自然豊かで美しい風景が広がっています。

現在は火山警戒度レベルが1になり、
2020年からヘルメットとガスマスクをつけてのガイド同行による山頂ツアーが予定されていましたが、
新型コロナウイルスの影響で延期中。
開催となったら、ぜひ参加してみたいと思っています。

三七山

三七山展望台。

三七山とは、1962年の噴火でできた噴石丘。
昭和37年だったことから三七山という名前に。

ひょうたん山

三七山展望台からのひょうたん山

ひょうたん山は1940年の噴火の際にわずか22時間で作られた噴石丘。
それまで海だった場所に1日弱で丘ができてしまうところに噴火の威力を感じます。
ひょうたん型の名の通り、2つの噴石丘ができましたが、今は1つが波で削られて1つが残っている状態です。

ひょうたん山の近くまで歩いて行くことができます。

火山体験遊歩道

火山体験遊歩道

1983年の噴火では、島内最大の集落であり、阿古温泉郷が栄えていた阿古地区の一部を溶岩流が飲みました。
幸い、人的被害はありませんでしたが、集落の約7割、400戸を飲み込んでしまいました。
その溶岩の上に、2007年に遊歩道ができて、歩けるようになりました。

島一周道路沿いに遊歩道への入り口があります。
なかなか迫力があります。遊歩道全体は往復で15分もあれば歩ききるような距離です。
遊歩道からの風景。
旧・阿古小中学校。

1983年当時の生徒数は約60名。噴火当日は、振替休日で学校は休みだったそうです。
旧阿古小中学校溶岩埋没跡として管理され、遊歩道や道路からの見学が可能となっています。

2階部分まで溶岩流で埋まった校舎がそのままになっています。
屋根が崩落した体育館。
島一周道路沿いからも阿古小中学校跡が見られます。

新澪池跡と新鼻新山

新澪池跡と新鼻新山。

同じく阿古地区を焼失させた1983年の噴火の際に蒸発してなくなった池と、一夜にしてできた噴石丘です。

中央の窪地が新澪池跡。

新澪池は1976年の噴火の火口にできた湖で、水面が七色に変化する美しい湖だったそうですが、
1983年の噴火で溶岩流が流れ込み、池の水と接触して水蒸気爆発を起こし、水が干上がってしまったそうです。

雄山の中腹から見た新澪池跡。その右側の黒い場所が新鼻新山。
新鼻新山。

新澪池跡から島一周道路をはさんで、海に向かって進んだところに広がっている真っ黒な地形が新鼻新山(にっぱなしんざん)。
1983年の噴火によって一夜にできた丘と言われる、火砕丘です。

海側が波で削られて断層がよく見えます。

三宅島らしい迫力のある風景です。

頂上付近は少し高さがあります。

先まで進むことができますが、高さがあるので転ばないように要注意。

地面はスコリアでびっしり。歩くとサクサク音がします。
丘の頂上付近からの風景
丘から反対側は真っ黒。
波が削っていきます。

鉄砲場

1983年の噴火で溶岩流に埋まった車の一部を見ることができます。

道路沿いにいきなり出現するこの鉄砲場の車の一部ですが、朽ちてきたり周りの植物が伸びたい放題なので、
うっかりすると通り過ぎてしまうほど見つけにくいので、まずは看板を探すのがいいと思います。

以前はこのような状態だったのですが、今は草に覆われています。

雄山

七島展望台からの雄山
2000年までここに牧場があったそうです。

三宅島では明治時代より酪農が盛んで、「三宅バター」が都内の百貨店で大人気だったり、
「三宅島牛乳」として有名だったそうです。戦後には2000頭を超す数の牛がいたこともあり、主要な産業だったとか。
しかし、2000年の噴火で三宅村営牧場の飼育牛はかなりの数が被害に遭い、
その後の全島避難に伴い、生き残った牛たちは都内の畜産試験場へ移送され、
それ以降は島内で酪農は行われず、現在は牛は一匹も存在していません。
(三宅島で作られている牛乳煎餅は島外の牛乳を使用しているそうです)

1983年の噴火からの復興の象徴として、雄山中腹の土地改良を行い、
三宅島牧場公園として、スポーツ施設やテニスコート、管理棟などが1995年頃から営業していたそうですが、
2000年の雄山山頂の噴火で焼失してしまい、今では廃墟のような残骸が噴火跡としての観光スポットになっています。

雄山の中腹

椎取神社

椎取神社

2000年の噴火の際に、火砕流によって社殿と鳥居が埋まってしまった神社です。
社殿と鳥居は新しく再建されましたが、埋まってしまった部分はそのまま残っています。

新たに再建された社殿と鳥居があるので、見つけにくいですが、
向かって左側の端の方に鳥居の上部が見えています。

鳥居の奥には社殿の屋根だけが見えています。

こちらが、2000年当時の社殿と鳥居。(現地の看板より)
2000年の噴火では、7月~8月にかけて複数回の噴火を体験しています。

火砕流で埋まっていく様子が看板に記録されていました。
2000年9月2日から全島民の避難が開始しているのでその直前の様子です。

2001年3月。全島避難中の様子です。

ちなみに、椎取神社の本殿は再建した拝殿からさらに奥に800m進んだ山の中にあります。

しめ縄のついた御神木も

少し距離があるので、まだ先かな?と思いながら進んでいきます。
椎取神社という名の通り、椎木の原生林だったようですが、ガスの影響などで枯れてしまっている木も多いようです。

これが本殿。あれ、これかな?という小ぶりなものですが、これが本殿だそう。
岩壁の下に位置しています。

厳しい自然に向き合いながら噴火で被災するたびに復興して、
また噴火のたびに島が形を変え、その爪痕をこれほどに見ることができるのは三宅島の魅力だと思います。
活火山に指定されていて、20年~40年周期での噴火と考えると、前回の噴火からは20年が経過。
また、この風景が変わっていく可能性も十分にあるので、訪れられる時に言っておいた方がいい、という人がいるのも納得です。


三宅島の噴火跡や、どのエリアが何年の噴火で被災・形成されたのか、などは、
観光協会のマップを見るととても分かりやすいと思います。

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